山岳写真ベスト集
山はなくならないが、花はどんどんなくなっているもう、残された時間はあまりない→ 高山植物・お花のベストショット集
初秋の王ヶ頭ホテルのテラスより朝焼け
大山北側の船上山はいいところ、ただ勝田ヶ山を過ぎて甲ヶ山・矢筈ヶ山までのゴジラの背中やここの尾根道や岩場はアルプスと比較してもポロポロで落石しやすく、中高年はやめたほうが無難です。
天空の城と名付けた「竹田城」の旅行社企画を初めて主催した会社「旅の本棚」から約20年、登山で登ったり中腹のPから登ったり昔はできましたが「いまや崩落が問題となり、Pは駐車禁止でバスの転回場から徒歩で行かないといけませんし「バスとタクシー」のみ。山麓の道の駅Pからの往復です。
有名な展望地桜の名所の「立雲峡」も昔は何もなかった公園でしたが「いまやトイレも管理所もでき」「展望台」もできる始末、すっかり観光化されました。岡山の高梁の現存天守最高所のお城は「備中松山城」も観光化はされているものの対岸の展望所は竹田城と違い3-4時に争ってPにいかなくとも夜明け前で十分に間に合います。天守がありなかなかの眺めです。お城は山麓のPに止めてマイクロバスにて途中の転回場から徒歩30-40分で到着、ハイキングもその先まで楽しめます。
紅葉でもブナ林の紅葉というのはその年の天候や台風襲来などの風など影響を受けやすく美しいものはめったにお目にかかれない。
蒜山は下蒜山から逆コースで登ると特徴的な笹原の稜線にさしかかる。明治時代に軍馬の飼育をしていて馬の牧場とするために木々を伐採して戦後に牧場として民間に払い受けをさせたのが蒜山牧場の始まりで、柵の跡の土塁が延々と残る場所がある。だいたい全国平尾台も秋吉台も四国カルス、美ヶ原もすべて軍隊や牧場がらみで伐採されたもので元は軍隊の演習場などのからみであることがほとんど。自然で丸ハゲの草原などはほとんどない。
宍粟市の「もみじ山」は植えた木がほとんどだが、全山真っ赤なので素晴らしい。
那須の紅葉は北側の姥ケ平から茶臼岳へあがる景色は紅葉で美しい
三本槍へ向かう稜線の紅葉は美しい、往復は早朝にスタートしないといけないが小屋宿泊の手もある。
伊豆大島は大島桜の元祖の天然記念物は見逃せないが、この火口原を見渡す「三原山温泉の露天は絶景である」島1番の宿泊したいところ。交通手配と宿手配、行程の組み方に非常に苦労するがうまくいけば非常に楽しめますね「ブラタモリガイド」は最高でした。
1万年の時の流れを感じる「バームクーヘン」と呼ばれる地層の大切断面が保護されている。バスは不便でレンタカーがいるが不便である。
何度訪ねても春夏秋冬楽しめる北アの尾根というのもなかなかないが高山植物の宝庫でありケーブル・リフトは有難い。
愛知県の屋根井山展望台~面の木峠から茶臼山と自然がたくさん残っている。
深田久弥のふるさと「大聖寺」から見える白山、深田久弥記念館が大聖寺にあり解説員も常駐しているので「百名山マニア」の聖地となっている。
燕岳のイルカ岩ほど動物や色んなものに例える自然の景観の中でもNO1ですね。イルカそのもの。
歩きやすいのは山荘周辺の木道だけで庭園などは掘れてしまい四苦八苦するが、北アのど真ん中は素晴らしい。
槍穂高の姿を見るのに朝の景観のチャンスは1泊後のことであり「運次第」どのコースからも骨が折れる。
夏の乗鞍は晴天率も高く早朝暗く霧雨であっても晴れることがおおい。
大山の目の前の三平山は「大山と蒜山の大絶景」
この景色は白山でも水量の豊富な南竜ヶ馬場宿泊にして早朝展望台経由で白山に登るのがお勧めだがキャンプ場のトイレ事情は改善されればベスト。
世界遺産登録前の「縄文杉」は鬱蒼とした森の中の巨人であり根元で巨樹を体感できた。当時は観光地としては未整備であり宮之浦港でフェリーを降りて徒歩で未整備の白谷雲水峡までの途中で1泊、トロッコ軌道にでて昔の村の駐在さんご夫婦がやっていた山小屋に1泊してトロッコ軌道をつめて縄文杉に到着。テラスも柵も何もない森の巨人は圧倒的な存在感があった。
現在は柵とテラスも出来容易に近づくことは出来ないし森は朽ちて上空は空が見えるほどになっている写真は10年ほど前であるがそれからもう一度訪ねたが年々の崩壊は激しくなる一方である。木肌は白く大きく見える。日本古来の杉で国内の神社仏閣にある「戦国から江戸にかけて改良された白杉・表杉」とは違い裏杉と呼ばれ「立山杉」「屋久杉」「北山台状杉」と樹液が濃く朽ちるまでに相当の年数があり苔の森となる。北山の杉は「みそまごりょう」とよばれ神社仏閣の建築材とされた。
高塚小屋を過ぎ永田岳と宮之浦岳の鞍部あたりにテントを張り宮之浦を越えて花之江河を通り、尾の間の海岸線迄延々と歩いた、当時この4泊の間に遭った登山者は琉球大学の学生1名のみ現在は平日でシーズンは500人休日で1000人を超えるというから隔日の感がある。新高塚小屋のトイレ事情は悪化の一途で2023年現在どうなったかは知る由もないが「縄文杉」の他にも最近巨木は発見されている。
白山禅定道の登山口「石徹臼」から30ふんほど登った平坦地に立っている杉は恐らく宗教的な意味と「境界木」として残されたものと思う。姿が綺麗。
京都北山の芦生の森と境界をせっする「高島トレイル」と最終点の「三国岳」から「天狗岳」「小野村割岳」の長大な稜線は山深く京都三高の山岳部が村の猟師と相談して取り付いて3日をかけて登頂したと言われる。特に「天狗岳」から小野村割岳にかけての尾根は長くて人もまばらであるから自然も当然豊かになる。神社仏閣にある「改良された白杉」ではなく日本古来の「裏杉」の大木が山中には点在しており、知られていた「雨宿りの杉」と「尾根の立派な巨木」の2本は台風や豪雨により折れてしまったが、支尾根にはこのような立派な姿をしただいたい1000年の樹齢かと想像するものはたくさんある。平安の頃より神社・仏閣の建築材として切り出して、其の株からまた新しい目がでては切り出しという「御杣御料」みそまごりょうとして保護されてきた、大木は名残で境界木として残された者らしい。
この大木はこの山域で1番の大木と思われ、上部100mには2番目に大きいものもある人影が15年ほど前まではまばらであり、踏み跡も不明瞭であったが現在は道がハッキリしている。正式には北側の谷は京都大学の演習林の「芦生の森」があり所在の所有権は正確には不明であるものの、確認された20-30年前に一度「京都大学の調査隊が調査している」。周囲にもたくさん巨木はあるが谷に下りると「灰野」というトロッコ後の荒れた廃村跡にでる。
「芦生の森」コースでも最近は通行禁止となることがおおい、通常は佐々里峠から往復か小野村割岳まで縦走して「早稲谷」に下りて林道を長く歩いて広河原にでるコースを選択するが、近年の台風で早稲谷は荒れており「廃道」に近い、広河原手前の手前の民家ももうご夫婦も影がなく近隣が荒れ放題になっている
1番2番ともに名前はないところが現在まで人を寄せつけなかった証であり素晴らしい、勝手にエイリアンの木とかわけのわからない名前をつけている登山者がいるがやめてもらいたい。木肌は黒いので締まって見えるが「縄文杉はもう見なくていいや」といわしめるほど「森の中にドーンという感じで立っている、縄文杉より迫力がある」残って欲しい。佐々里峠の谷側に「まさかこんなところに山岳会の小屋があるなんて」という小屋の老舗の山岳会の会長曰く「あれは縄文杉だ樹齢は3000-4000年だ」と豪語されていたが、自然センターの先生曰く1500年は間違いはないだろうとの見識をされていましたので岐阜の石トロの大杉が1800年と表示があるので、1500-2000年という認識です。
現在は1本折れていて人が増えたために鬱蒼とした雰囲気はないようで、この木を1番と思った方がほとんどみたいで、保護の観点からしてそれでいいのだと思います、計測したことがありますが8m少しでした、人が8人は並べる程度。1200年くらいの樹齢でしょうか。
蒲生八幡神社境内にそびえ立つ大楠は、樹齢約1,600年、根周り33.5m、目通り幹囲24.22m、高さ約30mと日本で一番大きな楠です。
環境庁が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査で、正真正銘日本一に認定されています。 蒲生八幡神社が建立された1123年にすでに大木であったことから考えても、樹齢千年を超える堂々たる老木です。
カメラには上下左右が入らない、離れると大きさがわからない
日本一の巨樹は鹿児島の蒲生の大クスです。鹿児島市の北に空港・東に桜島・南に開聞岳・指宿と観光ルートが組みにくい北西の地にあり、交通手段も半日いるのでタクシーかレンタカーで組まないといけませんが、その大きさは縄文杉どころではなく16mの縄文杉に対して24m根廻は36mという、カメラに入り切れない大きさです。なかなかいける機会はなく、鹿児島に行った際は外してはいけません。タクシーーが5m、スッポリ横に入り胸高は24mだから四方6m×4 24m 根廻36mは圧倒される。全員上を向いて口をあんぐりと開けてしまう。「あーあーあーあぅぅぅぅ」とかならず言います。
カメラの画角に入り切れないほどでかい、地元で幼少期を過ごしたかたのお話では、根元に8畳ほどの穴がありその中で遊んでいたとのこと。
枝が普通の木の幹ほどのおおきさがあり、圧倒的。
本栖湖湖畔の「竜ヶ岳・雨ヶ岳」からの富士は青木ヶ原樹海と朝霧高原の裾野が広がりがダイナミックで1番スケール感がある、ここからの「ダイヤモンド富士」は何度行っても神々しい「山を登る以上はご来光という言葉の理解は富士からも良いが」富士を眺めながらのご来光も最高である。
国道から一歩入ると穴場がある。
この時の立山の紅葉は地元の方に言わせると「20年ぶりの紅葉」と言わしめて、普通なら室堂の草紅葉の色も黄色に少しなる程度でたいしたこともなく、いうほどもなくという感じだがこの年は室堂のごくわずかなナナカマドも赤くなり、灌木も色づいて草紅葉と池塘のコントラストは見飽きることがなく素晴らしかった「20年ぶり」というのは登山生活に1回限りという感覚になるので運次第。
日本一の紅葉と言われる涸沢の紅葉は17年ほど前に1度カール内のすべての灌木が同時に紅葉するという見事な「20年ぶりという紅葉があった」この時は大雨の次の日に白出沢を1500m上り詰めての穂高小屋の裏に出た時で感激ひとしお、残念ながら当時はデジカメの出だしで一眼のフィルムカメラは持参せず記録はない。もう温暖化で10/4-5が1番の時期だったが現在は9月末で冷え込みも遅く色づきがここ10年は昔ほどではない。
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